声の音の響きを検証
まず、第一声目、
何と言っているでしょうか?
「発している」というかんじかな?
(前回ブログからの続きです↓)
目次
響きを感じる
「は〜〜〜〜!」
と言うと自然に氣合いが入ります。
「h」の子音から、
しっかりと振動する「a」の音へ。
そして
「れ〜」
「らりるれろ」→「r」の発音は
やっぱり「流」の雰囲気がします。
日本語では「名詞」で固定しない、
「動詞」の後ろの音によく使われるし。
けっきょく
「は〜れ〜」と謳ってるんですよね。
「晴れ」と言っているのだと想います。
「晴れ」以外にも「腫れ」「張れ」とか。
なんか、膨らむ、広がる響きですね。
なので僕は、
脳みそ的には「晴れ渡る」と謳いたかったみたいです。
でも「は〜れ〜」と言葉を張っていたら、
時間が過ぎてしまいました。
晴れ渡ったら、次は
澄み渡りたいじゃないですか?
なので、「す〜」と発音してみました。
そんなにたくさん発音できないので
「澄む」にしてみました。
あれ?
「すむ」には
「澄む」もあるけど
「棲む」「住む」もあるぞ?
そして、
「す」の、子音の歯擦音の多い音から
「む」って、
なんか無理を感じたのです。
「む」って、
低音域重視の
とても身体を振動させる音じゃないですか?
とても実体の無い音から
実体的な音へ。
じゃ、
「すむ」を
反対にしてみたらどんな言葉になるだろう?
「むす」・・・「結ぶ」だ!
「むすぶ」は「むする」とはならない。
「ぶ」も、とても肉体的な響きだなぁ。
「むすぶ」そして
「あそぶ」。
「むすぶ」はやっぱり
「む」にすることで
閉じるような感じがする。
「あそぶ」の「あ」は
開くような感じがする。
「阿吽 あ・うん」と言われるように
「あ」で生み、「ん」で終える。
日本語には「ん」というひとつの言葉しかないけど
外国語では「m」「n」「g」が
ちがう「ん」であることと意識してたりする。
「うん」と頷くのと
「はい」と返事するのとでは、
身につき方が違う。
「むすぶ」「あそぶ」
m=ん=閉じる。落とし込む。結ぶ。
a=開き、放たれる。
言いにくい「い」
そして、
「い」に意識を向けてみる。
「い」は
口を横に広げ、
発音しにくい。
大きな声で、長く発音し続けるには
けっこう上顎を固くする。
なのにどうして
こんなに生きる上で大切な音として
在るんだろう?
「生きる」「居る」「命」「祈り」
「行く」「誘う」「言う」「意」・・・。
だから言ってみた。
発話してみた。
何が起きるのか
まだわからない。
そういえば、
倍音、ホーミーを創り易い音でもある。
「いのち」
「いのり」
夏に初めて言った時は
「いくよ」と言っていた。
今回はちょっとかしこまって、
「いのち」
「いのり」
「いざなぎ」
「いざなむ」
と言ってみた。
「行く」と「誘う・いざなう」は
動きをもよおす言葉なので
同じ意味だろう。
しかし、
そう言ってみれば、
「いざなう」は
そのまま
「イザナギの命(みこと)」「イザナミの命」と
同意であると
氣付いてしまったではないか!
日本語の言葉遣いで考えると
「いざなう」を誰がするかによって
「いざなぐ」人と
「いざなむ」人がいる。
日本人ならこの感じわかるでしょ?
「いざなぐ」だと、
発動的な感じがするし、
「いざなむ」だと
受動的な感じがする。
凸で出し、
凹で受ける。
まさに
オスとメス。男と女。
男は「いざなぐ」。
女は「いざなむ」。
この動詞を名詞化すると、
「いざなぎ」と「いざなみ」ではないか!
人生とは?存在とは?
だから何だっていうのか?
よく分からないが、
「そうやって在るんだなぁ」と、
身体を通して感じている。
もし、本質と違うなら、
いつか、
本質と変換された意味と出会えるかもしれない。
もし、そこが「い」ではなく「ゆ」だったりするかも。
鍵が開くかもしれない。
人生とは何なのか?
存在とは何なのか?
それもやはり
この身体を通して
感じているのだ。