僕は この曲を創るために 音楽を始めました。
小学生、中学生の頃、
僕は背が極端に低く、
背の順は2番目にもなったことがないくらい
小さな子どもでした。
クラスのみんなに嫌われたりは
していなかったと想うけど、
“いじられキャラ”というか、
”いじめられっ子”だったような自覚があります。
6年生のときの卒業文集を
大人になったあるときに
見つけ、読み直してみたら、
「中学校で、もしいじめられたら、
バット振り回して逃げてやる」
と書いてありました。
小学校のうちは
じゃれあいで済んでいたけど、
中学生になったら
本格的にいじめられるんじゃないかと
警戒していたように思います。
ちょうど5年生くらいの時、
鹿川君の自殺事件が
テレビで報じられていたことが
なぜか原体験のようにあります。
*************
そんな僕が中学生になって、
まだお互い幼いながらも、
歳上のように大きな同級生と、
じゃれあいながら、
少しずつ、思春期を迎えていきます。
レコードではない「CD」なるもので
音楽を聴くことが
大人びた同級生の間で
流行り始めました。
中学1年生。
「ハイスクール落書き」というテレビドラマで
ブルーハーツの「トレイントレイン」
という曲が流行っていました。
当時の、幼い僕は、
本当は音楽になんか興味なくて、
どういうふうに味わえばいいのか
考えても、
解っていませんでした。
「聴覚で音や言葉を聴いて、
視覚は何をしていればいいんだろう?」
こんなふうに想っていた記憶があります。
そんな、まだまだ感性の幼い僕は
好きな友達(男子)と学校で遊んでいました。
彼は、僕と同じような”いじられキャラ”。
だから、優しく、当たりも柔らかく、
他の、すぐプロレス技をかけてくるような
乱暴な同級生より
好きだったんです。
とは言っても、幼い男子。
遠慮や気遣いも、
他のみんなが大きかったから
要らなかったんですよね・・・。
馬鹿なガキです。
僕はその、同じいじられキャラの
優しい友達の上履きを取って
逃げ回っていました。
遊んでいるつもりでした。
彼は僕を追いかけます。
通常、他の同級生だったら、
全力で逃げても、
すぐに捕らえられ、
プロレス技をかけられるのが
オチでした。
でも、
彼は僕に追いつけなかったのです。
彼は泣き出してしまいました。
僕は、
僕より弱い人を知りませんでした。
いじめられっ子になる想像はしても、
「いじめっ子」になる想像は
していませんでした。
「何が起きたんだ?」
よくわからないまま、
とぼとぼ放課後、
ふたり肩を並べて歩きます。
無言・・・だったと思います。
別れ際、
「今まで習ってきたことから推測すると
こう言うべきかな?」
ってくらい、
棒読みな感じで、
「ごめんね」
と言いました。
すると、
彼がまた
僕の肩にすがりついて
泣き始めてしまったのです。
わけがわかりませんでした。
「なんだなんだ?
僕は悪いことをしたのに
良いことをしたみたいだぞ?」
短い人生で、初めての
処理しきれない心と出逢いました。
よくわからない感情のまま、
家に帰り、
自分の部屋で、
音楽を、CDをかけながら
考えていました。
ブルーハーツのアルバム「トレイントレイン」。
たしか10曲目。
「青空」という、
ゆっくりめの曲が流れました。
・・・誠実さのかけらもなく
笑っているやつがいるよ
隠している その手を見せてみろよ
涙が出たとかの記憶はありません。
ただ、「これが感動というやつか!」
という「感動」をしました。
この日の、
処理できなかった感情が、
「感動」というやつになって、
ブルーハーツの「青空」と共に
やって来たのです。
もちろん
「とても良い曲だ」
とも思ったし、
今日の出来事を
ドラマチックに処理してくれる効果も
ありました。
でも、
なんか届ききらないのです。
背中の痒いところに
手が届かない、というか。
「青空」は「青空」で
好い曲だ。
でも、
今日の僕の出来事とは違う。
この詩(青空)は
西部劇や、アメリカの人種差別や、
部屋でテレビ見て、
悶々としている人のことを歌っている。
今日の僕の出来事とは違う。
「僕は、僕の『青空』を描かなければならない!」
*************
中学1年の2学期、
宿題の「絵日記」とかは
大嫌いだった僕が、
誰にも見せない大学ノートに
言葉を綴りはじめました。
親にギターを買ってもらいました。
(1年くらい埃をかぶってました(笑))
最初にカタチになった曲は、たしか・・・
「空っぽな日々」とかいう、
悶々としたままの
冴えない曲でした。
そして、
二十歳をちょっと過ぎたあたりの、
横浜の路上でギターを弾いて
青春していたある日、
ぼくの「青空」がこぼれ落ちたのでした。
やっぱり、
あるていど年齢重ねて、
立体的に描けるようになるまで
熟成期間は必要ですね。
僕は
この曲を創るために
音楽を始めました。
そして今も、
この曲を、
より多くの人、というか、
あの日の僕のような今を生きる
どこかで生きる誰かに届けられるように、
技術を鍛え、
表現力を学び、
強く、優しく、
懐の深い人間になりたいし、
演奏力、レコーディング技術、
はたまたMVのためにイラスト描いたり、
出来る努力をがんばっています。
僕は
この曲を創るために
音楽を始めました。
ミュージシャンにも、
いろんな動機や、出逢いや、
持って生まれた個性によって、
表現すること、
音楽へ向けるモチベーションが
人それぞれです。
でなかったら、
人それぞれ、
タイコに人生注いだり、
SAXの音色に人生注いだり、
そして、一緒に音を重ねたり、
そんな生きてての幸せな交流は
あり得ないと想います。
それでも、
いろんな技術が身について、
ニーズに応えた音楽が出来るようになったり、
音を合わせることの快感や、
音楽の楽しさを伝える「先生」的な仕事の方が
多く求められるようになったとしても、
または、
「音楽より、優先すべきことがあるだろ!」
という環境に置かれたとしても、
僕は、
この曲を歌い、
詩を確かめ、
あの日の僕のような、
今も
どこかで生きている
「独りの僕」に
響かせられるように。
これが
きっと、誰とも違う、
僕が、今も、未だに音楽を続けていられる
原体験だと想っています。
上手い人はいくらでもいるし、
センス、才能、若さ、
全て持っていないおじさんです。
子育てに追われながら、
何とか保っている日々です。
そんな「僕」の音楽を
これからもしていこうと
思っています。
2023年12月完成音源6曲「暮らし、暮れゆく暮らし」
寒い時こそ「暖かい」と感じる。
何度も日が暮れて
くりかえし暮らす
僕らの暮らしを描いた6曲です。
2023年2月完成音源6曲「なおゆきくん」
「なおゆき」平魚泳の本名。
私的で個人的な心の情景、
センシティヴな想いを
詩や語りで綴りました。
2022年6月完成音源6曲「気の持ちようで」
歌って現れる、
心を通して眺める「現実」。
そんな意識で紡いだ詩を
ウクレレの音色と共に。
前の記事へ
次の記事へ