平魚泳 Hirasakana Oyogu

2022.11.15~18、 風の音楽家[秋の四国ツアー]を終えて

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風の音楽家

 

2022.11.15~18、

風の音楽家[秋の四国ツアー]の

全4日間が終わりました。

 

風の音楽家。

岡林さん、重松壮一郎(sosoくん)。

この3人でしか奏でられない音があり、

この3人でしか「生きない」詩

があります。

 

平日にも関わらず、

足を運んでくれた人たち、
場を用意してくれた人たち、
メンバーの尽力、全てを有り難く感じ、

 

さらになんと言っても、

この3人で鳴らせる機会が有ることが

有り難いことだと、

つくづく噛み締めながら

歌いました。

 

 

 

 

3人で奏でることによって、

インスパイアされ、描き、遺した詩がある。

 

3人で奏で、歌えば、

僕はそのときたどり着いた
「豊かな境地」へ行ける。

 

歌えば「詩」そのものになれる。
そこに2人の音が添えてくれる。

 

2人の音が

「詩」の在る舞台を創り、

むしろ、

その舞台に導かれて、

「詩」という現実が現れてくれる。

 

僕は「詩」になる。

豊かな想いで描き残した

「詩」になる。

 

 

詩から降りて

 

でも「詩」が終わると、

いたたまれなくなる。

 

それは、

この「音楽活動」を以って、

何かをブランディングしないと、

焼き印を押して、

Finして、固定して、

何かのカタチにして、繋げないと!

という焦り。

 

詩から降りて、
現実社会とのコミュニケーションモード
に、切り替える焦り。

 

*************

 

お客さんから拍手が来る。

 

そこに、

どう対応したら良いのか、

わからなくなるんだ。

 

 

・・・だから、

それも、

もう、

音に預けることにした。

詩に預けることにした。

 

*************

 

有り難い機会が

こうして有った。

 

詩そのものになれる機会が

有り難いんだ。

 

詩では歌っている。

 

歪なものも、

美しいものも、

その在り様を、

眺め、味わい、踊っていよう。

と。

 

「大丈夫だから」

って。

 

 

「みんなが幸せでありますように」

 

夕焼けが赤く辺りを染める

僕はもう そこにはいなかったけれど

見守ってるような氣がしたよ

見守られているような氣がしたんだ

 

いろいろあった

ほんとにいろいろあった

まるで何もなかったように

おだやかに

今日1日が終わるから

 

にぎやかな僕の心のお祭りが

みんなで”ありがとう”と踊っているよ

 

僕みたいな君に

心で話しかけたんだ

そしたら・・・

何か氣づいたのかな?

ちょっと微笑んで

“大丈夫だよ”って

言ったよね?

あれは誰の声だったのかな?

 

僕みたいな君に

心で話しかけたんだ

そしたら、氣づいてくれるかな・・・

ちょっと氣持ちは微笑んで

“大丈夫だよ”って

言ったんだ

あの日のあなたを

想い出している

 

夕焼けが赤く辺りを染める

僕はもう そこにはいなかったけれど

見守ってるような氣がしたよ

見守られているような氣がしたんだ

 

※まだ公式な音源が無いため
歌詞だけの掲載にさせていただきます。

 

*************

 

2019年の晩秋に、

ピアノのsosoくんが、

タイトルと、イメージと共に、

ピアノのインストの録音を送ってきた。

 

「電車に乗っていて、

いろんな見知らぬ人が乗っている。

おじさん、おばさん、学生さん、子ども…

いろんな背景と共に、

みんな暮らしているんだけど、

みんなが幸せであってほしいな。

そんな想いの曲にしたいんだ」

 

*************

 

僕は瞬く間に

同じ想いになった。

 

そして、

この詩を創った。

 

「みんなが幸せでありますように」

 

 

詩を描き、そこに留め置く意味

 

いつも、そんなキリストみたいな

聖人君子でいられるわけはないんだ。

 

だけど、

ここに「詩」がある。

詩を歌う。

 

口が先なのか、

想いが先なのか。

 

どちらでもいい。

 

「大丈夫だよ」って、

言う。詩が在る。

 

「大丈夫」という

言葉が在る。存在するんだ。

 

「大丈夫」という言葉が

どういうことか、知っている。

 

だから「大丈夫」なんだ。

 

…当たり前か。

 

 

 

戦前、戦中、戦後

 

2019年の晩秋にこの曲の構築を始めた

ってことは、

世界中の皆さんがご存知の通り

2020年の初春に

「未知のウィルスとの戦争」

という、

戦時下となる。

 

そして、「戦後」は来たのかな?

徐々に戒厳令は外され、

破壊された荒野に、

また新たな概念を

誰の意図かは知らんけど、

築いていこうとしているように

感じている。

 

かつて、日本が、

「復興」と呼ばれる好景気の影で、

様々な文化が粉砕されたように。

 

何かが失われた。

それでも失われなかった何かが在る。

 

儲からなくてもやる。

認められなくてもやっている。

時代遅れなのにやっている。

時代も何も・・・

モデルケースも何もないまま

やりつづけていること。

 

3年…

 

歳を取ったように感じる。

 

あとどのくらい、

この身がこの世に留まり、

何を遺し、

響かせていけるのか・・・。

 

真剣に考えるほどに、

微力な自分を感じる。

 

10人前後の客席の会場から、

その10人を含む、

世界の皆に、この詩が届くことを

願い、歌った。

 

 

想いつき

 

衝動的に今、

来年の暖かくなった季節には、

大きな街へ行って、

長い時間、街の片隅で

ウクレレ弾いて歌おう!

と想った。

 

微力をさらに微力化させるみたいだけど、

慎ましく、僕の活動をブランディングして、

ファイナンスをFinさせて、

社会貢献を明確化させる労力は、

僕には向いていない。

 

少年院や、刑務所へ「慰問」として

歌いたい。

と、このアイデアが浮かぶ前に

浮かんだアイデアを

さらに否定して想い浮かんだのがコレ。

 

「そんな適所へ、

社会貢献したいから、

そのためにも

マネタイズが必要」

 

なんていう、

ファンドを募るみたいな行為に、

欺瞞を感じてしまったんだ。

 

街の道端で

倒れている人は多くいる。

それが見えていない人も

多くいる。

 

僕は

そんな人を眺めながら、

詩なんて歌っている場合か!

 

と欺瞞を感じる。

 

でも、

その時、僕がどう動くかは、

詩が導いてくれる筈だ。

 

こんな詩を歌う僕が

どんな生き方をするのか。

 

だからやっぱり、

先ずは歌おうと思う。

同時に

踊ろうと思う。

 

こんな僕は、

年末に横浜寿町へ行って、

10年前に通ったような、

ボランティア活動へ行けよ!

とも思う。

 

でも、

それはやったし、

今は大分の田舎暮らしだ。

 

「ボランティア活動」「田舎暮らし」・・・

言葉、「名詞化」。

現実認知の仮留め。

 

ネット上にいろいろ上げます!

スマホ越しにでも、

多くのみんなの、

個人的な心情の中に、

これらの詩が、

届いて、出逢い、響きあえたら。

それこそ本当に”有り難い”と想うので

アウトプットも欠かさずに行いたい。

 

*************

 

「届けるためには

それなりにクオリティが必要」

なんて考えもあるけど、

パッケージングして、ブランディングして、

コアな、奥に流れる”総て”を

見失わないようにしたい。

未熟でも、

外へ出して、

トライ&エラーを繰り返し、

なんとか「そこ」へ

届きたい。

 

*************

 

不安定ながら、
浮かんだ想いを書き綴ってみました。
この章は誰かにお見せするような文章では
なかったかもしれない。

 

 

個人→社会

 

「僕」だけではない「風の音楽家」。

 

「僕」を響かせて響き合える

最小単位の社会「バンド」。

 

点が線となり、

平面として、ミニマムな社会の

縮図と成り得るなら、

この3人で創る”層”は

図り知れない。

 

有り難い、出逢いが、

よくぞこの人生で

有ってくれたものだ。

 

 

また3人の演奏や各人と演奏していきます

 

「風の音楽家」は
またおそらく、2023の春に
九州ツアーを行うかと思われます。

 

レコーディングなんかもしたいなぁ
なんて想っているけど、
それは3人の「社会」なので、
他の2人の、”音へのこだわり”などと
調整しながら、
「継続」の方向で考えています。

 

こんな、3000文字も書き綴り、
「誰も読まんだろう?」
という行為をプロモーション行為にしようとしている
センスのない僕なので、
活動デザインは
他のお二人にけっこうおまかせなのです。

 

そんな、今回、四国でお世話になった
馬頭琴の岡林立哉さん、
2022.12.14(水)に
僕の暮らすご近所。

 

大分県日田市の「大原屋」という
ご飯屋さんで、
共演ライブさせてもらいます。

 

2022.12.14 岡林立哉×平魚泳ライブ@大原屋(日田)

 

この記事を書いた人

平魚泳

ウクレレ弾いて、タイコ叩いて、笛を吹いて、歌う。詩人。音楽家。言葉の持つ力、音の持つ力を日々確かめています。

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