平魚泳 Hirasakana Oyogu

恐怖について考える

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怖い時ってどんな時?

 

「怖い」
という感情は
どういった経緯で生み出されたのだろう?

 

首を切り落とされるのは怖い。
病気になるのは怖い。
手術は怖い。
ワクチンは怖い。
戦争は怖い。
人の死を見るのは怖い。
生贄の儀式は怖い。
豚の首を切り落とすのは怖い。
豚の肉は怖い?
刃物は怖い。
鎌で草を切るのは怖い?
指を切ってしまうかもしれないから
怖い。
花の茎を切り落とすのは怖い?

 

カード決済は怖い。(今80歳の母によく言われた)
借金は怖い。
借金取りは怖い。
暴力は怖い。
友達を失うのは怖い。
仲間外れが怖い。

 

借金を返さない人は怖い?
「怖い」というより「ズルい」になるか・・・。
約束が怖い?
冷静でいられない自分が怖い。

 

 

総じてどんなとき?

 

「我が事とする何かが
失われるかもしれない」
ということが、
「怖い」「恐怖」になるっぽいね。

 

 

どんな経験が恐怖にさせた?

 

といことは、
その出来事が
恐怖になり得る経験が、
いつしかの時にあったのだろうか?

 

最初は恐怖を知らなかった。

 

知らないから、
みんなの腕を切り落として
楽しんでた。

 

そして、
自分と思しきこの身の
腕も切り落としてみた。

 

あれ?

 

むっちゃ痛い。

 

これは嫌だ。

 

数ヶ月経って、
痛みは引いた。

 

でも、
むっちゃ不便だ。

 

腕があった頃のようには
生きれない。

 

腕はやっぱり、
失いたくはないよなぁ・・・。

 

この先祖の経験が、
受け継がれて、
「恐怖」になったのかな?

 

なんて想った。

 

 

お金を求める父について考察する

 

今、84歳の
父の認知症が進行している。

 

なんとなく、
不安に襲われると、
ヒットマンがやってきたり、
40万とかの
お金を求めてくる。

 

昨日、老人ホームを転所するため、
久しぶりに、車の移動で
親子水入らずになれた。

 

そして、
相変わらずお金を求めるので、
ATMで現金40万円を引き出して、
父に渡した。

 

そして、何らかの会話を経て、
30万を僕に渡し、ATMに返した。

 

10万円を施設直前まで持って、
一応、僕が預かっておく。
ということで納得してくれた。

 

 

お金の使い方

 

【「不安」=「恐怖」とする。】

 

お金がないと不安になる。
お金があると安心する。

 

・・・何が怖いんだろう?

 

肉体を失っていくのが怖いのかな?
でも、お金で肉体は買えない。

 

そして、今、こうなってしまった肉体で、
お金を持っていても、
支払う行為すら出来ない。

 

お金が自分から失われた時、
何か相応のサービスを得られる。
という仕組みが
このシステムにはある。

 

でも、父は、
今、「お金」を持っていたいのである。

 

これは「お守り」だね。

 

不安を創り出しているのは誰?

 

で、考えたわけです。

 

お金がなくて不安で、
お金があれば本当に心安らぐのか?

 

たしかに、
お金を手にしたら
表情がゆるんだ。

 

というより、
父の欲求の訴えが通ったことに
安心感を覚えているように感じる。

 

そして、
また不安がやってくる。

 

不安=お金ではない。

 

家族や、
味方として存在する人たちでもない。

 

自ら、不安、恐怖を創り出しているんだ。

 

 

人生で関わった経験が心を誘発する

 

「お金」という仕組みが
人生に影響を与えていなかったら、
お金があっても、なくても、
恐怖(不安)の経験には
なり得なかっただろう。

 

道端に
たんぽぽが咲いていても
咲いていなくても、
不安になる人は少ないと想う。

 

不安になる人は、
きっと、以前たんぽぽと関わり、
我が事として
感じれるようになったのだろう。

 

 

経験から始まった恐怖

 

何も怖くはなかった。

 

自分の首が落ちた。

 

痛かった。

 

びっくりした。

 

その後、
「自分」として
存在できないことを知った。

 

そんないつかの経験があって、
その後、その経験を恐れ、
避けるようになったのではないだろうか?

 

 

失って、初めて現れる世界がある

 

その「恐怖」「不安」は
どこから来たのか。
原因と思われる出来事を見つけたら、
どこの範囲の「自分」を
守ろうとしているのか
考えてみよう。

 

最悪、首が落ちた時、
「すべて」と想っている自分を失う。
「自殺」だ。

 

生きている限り、
生きたいと想うので、
「生きる」を失うのは避けたい。
「恐怖」するのである。

 

でも、
恐れたとて、
失うときには失う。

 

失って、初めて現れる世界がある。

 

「死」の先はわかりませんが、
生きてきた経験で、
いろいろ失ってきたけど、
今、残っている「僕」は
失った先の「今」にいる僕です。

 

そんな「生きる」の延長線上に
「死」があるのだろうから、
その先の想像ができる僕は
「死」が近いのでしょうか(笑)

 

恐れはある。

 

仕方ない。

 

お金、薬、宗教、
すべて、自分に作用するものとして
インプットは出来る。

 

でもその挙動の
主体は「自分」だ。

 

そんな自ずを分けた「自分」で
味わって生きていこうと想います。

 

 

今日は想い、徒然と書かせてもらいました。
書いて、歌いたくなった歌は↑「天から見れば」です。

 

よかったら聴いてください。

 

こんな徒然な想いは今までnoteに書いてきました。

今後もこちらのブログとnote、
バランス見ながら書いていくので
どうぞよろしくお願いします。

平魚泳の音楽。最新音源6曲「気の持ちようで」

平魚泳の音楽はこちらから聴けます

2020年から2022年にかけて大分の自宅スタジオにて収録。
ウクレレを中心に、アコースティック楽器を中心に演奏。
心地好い6曲の歌曲が聴けます。

この記事を書いた人

平魚泳

ウクレレ弾いて、タイコ叩いて、笛を吹いて、歌う。詩人。音楽家。言葉の持つ力、音の持つ力を日々確かめています。

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