平魚泳 Hirasakana Oyogu

2024年に綴る「おばあちゃんの思い出」

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命日に寄せて

 

1月15日はおばあちゃんの命日です。
その日の思い出について語った詩があります。
人が生きていれば
誰もが経験するであろう
些細な心の成長の記録です。

 

ひとつ目の成長

 

ひとつ目の成長は
人の「死」について
考え始めた小学校高学年の頃。

 

そして平々凡々と育っていた僕は、
幸か不幸か、
あまりにも人の「死」が
身近でなかったため、
夢の中で擬似体験してしまったこと。

 

(例え夢でも、
強い肌触りと共に憶えている夢は
人生に於いての「経験」となり得ると思う。
だって、今生きて「現実」と感じている現実
さえも、ただそれがリアルと感じている
自分の主観でしかないんだから・・・)

 

本当に些細な事です。
「出来事」でのない。
「夢」なんだから。

 

でも、
その経験を18歳まで引きずり、
さらには40歳を過ぎて、
書き留め、表現するまで
ずっと大切に憶えていたのだから
自分でも少し呆れてしまう。

 

ふたつ目の成長

 

ふたつ目の成長は
高校3年生の冬に訪れた
リアルな身近な人の「死」。

 

これも
生きていれば誰でも経験するであろう。
そもそも
今は健康だが、
誰にでも訪れるであろう
自分の「死」について、
少なからず想う昨今の年齢です。

 

そして、
多くの同世代の友人が通(とお)っている
「受験」という制度から
離脱している自分。

 

そして、
当時は周辺がいつも
賑やかで、騒々しくて、華やかだった。
僕の高校を卒業した年は1995年だった。

 

バブルが弾けていたとはいえ、
「そういう世の中」として認識して育ってきた
風景は、相変わらず維持されていた。

 

鉄工業が盛んで、
海沿いの工業地帯からは
日々煙が立ち上り、
道路も渋滞し、
黒煙が舞い上がっていた。

 

賑やかだった。
いろんなゴミが落ちていた。

 

作っては捨て、作っては捨て。
「日本は発展している」と教わった。

 

ゴミを出すことが
有料になって、
分別して出す時代が来るなんて
当時では考えられなかった。
(問題にはなっていたけど)

 

30年経った「今」から見える

 

そんな、思い出深い、些細な情景を
今更の2023年に
レコーディングして発表したのです。

 

 

だいぶ年月が過ぎて、
だいぶ時代背景が変わってしまったけど、
90年代を10代として過ごしてきた
僕が憶えている
世界の片隅からの情景描写です。

 

「平和」と感じ、
「平和ボケ」とも感じ、
賑やかで華やかな時代に馴染めず、
2023年、4年となった今、
もちろん「僕」も含め、
多くの人が「景気が悪い」と感じる
昨今の方が
なんだか「僕自身」が反映された
時代に感じる。

 

今、工業地帯から
それほど「黒い煙」は
立ち上っていないでしょう。

 

そんな生産業界が崩壊したか、
目に見えない「黒い煙」が
僕らを取り巻いているように感じます。

 

そんな薄暗く感じる時代背景の中、
今の若い人たちは、まだ
「受験」というシステムに
乗って、どこかに行けると夢見て
頑張っているのかな?

 

 

 

名もなき歴史から考察できる「今」

 

今、この時代に、
こんな曲を表現して、発表したのは
ちゃんと「この世界で生きること」を
考えようよ。

 

という
些細な提案なのかもしれないな・・・

 

僕は
微力ながら
「音楽」で表現する手段を選んだ人生を
歩んできたので、
微力ながら、
声を投げて、現してみよう。

 

そう想って
この曲を仕上げたのでした。

2023年12月完成音源6曲「暮らし、暮れゆく暮らし」

ストリーミングリンク

寒い時こそ「暖かい」と感じる。
何度も日が暮れて
くりかえし暮らす
僕らの暮らしを描いた6曲です。

2023年2月完成音源6曲「なおゆきくん」

ストリーミングリンク

「なおゆき」平魚泳の本名。
私的で個人的な心の情景、
センシティヴな想いを
詩や語りで綴りました。

2022年6月完成音源6曲「気の持ちようで」

ストリーミングリンク

歌って現れる、
心を通して眺める「現実」。
そんな意識で紡いだ詩を
ウクレレの音色と共に。

この記事を書いた人

平魚泳

ウクレレ弾いて、タイコ叩いて、笛を吹いて、歌う。詩人。音楽家。言葉の持つ力、音の持つ力を日々確かめています。

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