平魚泳 Hirasakana Oyogu

ほっこり村さんでのライブを終えて

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2022.08.22(月)

 

奈良の葛城市、尺土の駅から12分くらい歩いて、
田園風景が見え始めるあたりに、
ほっこり村さんはあります。

 

数年前、僕が四半世紀以来の付き合いになる、
大和高田にあるライブバーで演奏した時、
マスターが「ぜひさかなさんを紹介したかった」
と言ってお客さんで来てくれていたオーナーに
紹介していただいたほっこり村さんです。

 

こうして、昼、夜と
単独ライブをさせていただき、
本当に嬉しいし、
僕の持っている力を余すことなく開き、
伝え、響き合うことが出来た。

 

こんなに満たされた1日は
久しぶりでした。

 

この、手描きの看板がうれしい♪

なんか、ほんとうに・・・

 

唯名論、名詞化、キャッチコピー

 

僕は、「平魚泳」でしかなくて、
まぁ・・・「ウクレレ」という看板コピーで
点数稼ぎはしていますが、
タイコ叩いて歌ったり、
「白」い部分もあるし、
「黒」い部分もある。

 

「白」のような「黒」でもあるし、
「黒」のような「白」でもある。

 

何かのフレームに収める必要は、
「言葉」を利用する人間である以上、
「言葉」に収め、
それを多角的に表現し、
言葉には収まらない多面的な人になる。

 

それが、我々の知恵ではあるんです。

 

でも、
わざわざヒットする
キャッチフレーズに寄せるのは
めんどくさいし、
本体が見えなくなってしまう
かもしれない。

 

そんな手触りを
共有できる仲間と
出逢うためにも、
こういった
荒削りなかんじは
とても必要と感じました。

 

「あまり集客できなくてごめんなさい」

 

そんな社交辞令のセリフは
要りません。

 

出逢うべく人と出逢えたなぁ。

 

出逢うべく時と出逢えたなぁ。

 

ライブの様子

 

昼の部は、
2歳、5歳、5歳、5歳、7歳、7歳!

 

子どもたちにかき回されながらも、
大人たちも、僕も、
タイコ叩いて、
みんな楽しく踊りました。

 

 

夜の部は、
子どもの経験値では、
決して感じ得ない、
大人、とは言わない、
イノチの有り難さを、
ウクレレを静かに奏で、
歌いました。

 

 

因果、因縁、ご縁、連なり、繋がり

本当は、
全てが連なり合っていて、
前日、当日のライブに向けての練習だったり、
夫婦間でのイザコザからの仲直りだったり、
サプライズなお客さんだったり。

 

語ったら、そうか・・・
まとめるなんて不可能ですね。

 

でも、
生きてきた
大切に想える連なりがあるから、
奇跡に想える偶然も必然だったり、
安心して、
その「とき」と居合わせることができる。

 

もちろん当人、僕らは必死に
今すべきと想っていることを
するのに必死なのですが、
だから、
そのもがきも含めて。

 

今、このブログは、
昨日、大分に帰り、
関西での日々が、
夢のように消えてしまおうとしている今、
必死で書き留めています。

 

そうなんだよね。

 

日々はずっと
連なって今に至り、
未来へと続いて行く。

 

だから、あまり
留まり、淀むことなく、
今をこなし、
未来へ流れ、
またその時の
必然たる「今」で
出逢える出逢いを楽しみに。

 

僕らしく、
はにかみながら
迎えてあげようと想います。

この記事を書いた人

平魚泳

ウクレレ弾いて、タイコ叩いて、笛を吹いて、歌う。詩人。音楽家。言葉の持つ力、音の持つ力を日々確かめています。

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