平魚泳 Hirasakana Oyogu

飯田高原 アースマーケット 2022.08.07

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せめて1日でも前に
ライブの告知をしようと思っていたけど、

ステージを終えて帰宅。
ライブレポになってしまいました。

 

しかも、
インスタ映えする写真をたくさん撮っておけば
ポップにキャッチーに綴れるのでしょうけど、
ライブの記録映像をリンクするのみ・・・。

無骨なブログでお許しください。

 

飯田高原 アースマーケット

僕が大分へ越して来たのは2013年、
1年目くらいに出逢ったイベントです。

 

どんな、誰とのきっかけで
この飯田高原に辿り着いたのか、
定かではないのですが、
手作り感満載。

 

人数は少なく、みんなの顔が見えて、
個性豊かで、
このアースマーケットで出逢えば、
みんな友達になれちゃうような、
素敵なイベントでした。

 

しかし、
運営側の方は、
集客が上がらず、
挫折して、
もう開催はやめようか・・・
と、考えたそうです。

 

そこに、
出店している友達が
「すごく好きなイベントだからやめないで。
私に何ができるかしら?
そうだ! 歌を作ります」

と言って、
作ったのがこの「アースマーケットのテーマ」。
(ググって見つけたけど、リンクしちゃって好かったかしら?)

 

彼女、べつに音楽家ではなく、
楽器も出来るわけではないので、
ただアカペラで創ったらしい。

 

で、それに励まされて、
こうして未だ、年2回、
継続して開催されている。

 

やめようとした時、主催者さんは
「出演のミュージシャンの人達にも
満足いくギャラが払われなくて申し訳ない」
というのもあったらしい。

 

でも、

 

「投げ銭ライブ」。

 

ステージの前にザルが置かれ、
ライブ中、後に、お気持ちを募る。

 

そこには現金以上の、
野菜や、手作りの作品などが投げ込まれる。

 

豊かです。

 

僕は最初から
この規模と想いに大賛同でした。

 

そして、たびたび、
この野外ステージで演奏させてもらってます。

 

2019年までの僕のパフォーマンス

 

野外だし、子どももたくさんいるし、
賑やかなステージを心がけました。
「楽しい」の賛同と共にの
投げ銭も欲しかったしね。

 

2020年はオンライン開催

 

コロナ禍での新しい取り組み、
新鮮でした。

 

それぞれのプライベート空間で
それぞれが自由に楽しむ。

 

そして、2021年。

 

2年越しでリアル開催された
アースマーケットのステージで、
僕はとても落ち着いていたのを覚えています。

 

コロナ禍。
ライブ配信などの演奏が日常となり、
音楽をする上で、
大切なことに
あらためて氣付いた。そんな感じ。

 

ウケるための意識。
要らない。

 

お客さんが立ち去ったとかに
動揺しない。

 

ただ、届いているという前提の意識だけで歌う。

 

新鮮な驚きでした。

 

ライブ配信の不思議。

 

独りでカメラ(スマホ)に向かって歌っても、
誰かが向こうで見ていてくれる。

 

いや、誰も見ていないかもしれないけど、
誰かに届けている。
という意識が大切だったんだな。

 

君への印象は、
じつは「僕」そのものだったんだ。

 

という氣付きがよくあります。

 

そんな感じ。

 

誰かに伝えるくらい丁寧な氣持ちで、
「本当」と想われる現実を創ること。

 

そして2022年

 

そんな氣付きのあった2021年から1年。
2022年、今日のステージは・・・。

 

マイナー、短調で、
暗く、寂しげな、
タイコで歌い上げる曲を選びました。

 

みんなと一体になる意図は皆無です。

 

「場に媚びるのはやめよう」

 

そう想っていました。

 

それは、「場に挑むもの」ではなく、
「信頼」でした。

 

それは予想外の状況も含みました。

 

7歳の息子と、5歳の娘が、
僕の足元でチョロチョロする。という・・・。

 

「場」に、
状況に怯み、媚びることはなかった。

 

僕は2人の子どもをステージに上げながら、
「孤独」なステージを演じ切った。

 

他人には、
どう映ったのだろう?

 

「詩」が
導いてくれていた。

 

「場」に媚びた即興なんてしなかった。

 

詩が新たな意味を教えてくれた。

 

そんなステージでした。

 

次のステージ

 

今後、僕の演奏活動が、
たくさん拡がっていくかはわからない。
でも、
「こんなことをすればニーズがあるよ」
という演出を、
信じて技を磨き、
でも、
活躍を見出せなかった僕の人生。

 

世間のニーズが無いのなら、
僕自身のニーズを満たしていこう。

 

僕の大切にしている「僕」の表現で、
いつかニーズが現れたなら、
いつもどおりの、
「大切な僕の表現」をしよう。

 

世の中は移ろう。

 

モノゴトの価値も移ろう。

 

「人生」で徐々に固定されていく
一人ひとりの人生も、
死に、生まれ、入れ替わってゆく。

 

「今回の航海はこんな感じで」
何がサスティンしていくか
全然わからないけど。

 

僕個人ごときじゃわからないけど、

僕はただ、
自分で選んだ
自分のパートに徹する。

 

すると、
僕は
全体の一部として、
全体の響きに
携わっていることを
自覚するんです。

 

本日は
一期一会の晴れ舞台、
ありがとうございました。

この記事を書いた人

平魚泳

ウクレレ弾いて、タイコ叩いて、笛を吹いて、歌う。詩人。音楽家。言葉の持つ力、音の持つ力を日々確かめています。

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